球技の世界で実践されているゲーム分析は、ゲーム経過を観察し、完了データを記述していく方法に基づくものが主流である。球技論でも、ゲーム経過の記録というものは、文字を用いたゲーム観察の結果として行なうか、録音技術を用いるか、フィルムを用いた記録評価の中間ステップとして行なうかであるが、「ゲーム経過の記録は、技術的—戦術的な達成とゲーム経過の力動性についての供述を可能にする」ⅹⅹⅱ という指摘に注意する必要があろう。我々は、もちろん生き生きした一回性のゲーム経過を把握しようと努力しなければならないが、それがたとえいかなる記録の仕方であろうと、しっかりとしたゲーム経験をもっていさえすれば、そのゲームの感覚を伝えることができるということであろうか。これまで、ゲーム分析をする場合、次の二つの立場から行なうようにしてきたⅹⅹⅲ 。

 

 ⑴主体的ゲーム分析(主体的立場)

選手の立場から、ゲームの流れの全体の印象分析とゲームの各場面における情況の意味構造を観察する。そこでは、ゲームの遂行者自身の運動と意図との関係、ボールや空間との関係、時間との関係、他者(味方、敵方)との関係を「体験し、中から知覚すること」ⅹⅹⅳ に基づいて記述する。すなわち、私の動く感じからゲーム情況をとらえる立場である。

⑵共同的ゲーム分析(主体的立場を包含する立場) 

指導者の立場から、ゲームの流れの全体印象の分析とゲームの各場面における情況の意味構造を共振的に観察する。そこでは、敵方と味方の対峙関係において生じる個人や集団の攻防の運動諸経過に観察される技術—戦術的な徴表を共感して見抜き、記述する。達成を評価する立場からは、試合における味方や敵方チームの動きの分析・比較・評価を行なう。伝承論的な立場からは、指導内容としての技術や戦術を間キネステーゼ的に確認し、一般化しようとする。すなわち、あたかも私や我々がその場面で動いているかのような感じでゲーム情況をとらえる立場である。

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