北井晴次
2 エピソード(1)
何年か前、ある人と久しぶりに会った。かつて我々のチームとはライバルとして長く覇を競い合ったチームの一員である。
「いやあ、北井さん、我々も勝つために本当に研究しましたよ。」
「ええ、我々も必死でしたよ。」
「我々は、『あの北井という選手はジャンプしてプレーすることが多いから、ジャンプした時に足を払え、タックルするんだ』と、そこまで考えましたよ。 いやあ、北井さんはよく倒されていましたねえ。」
私はこの話を聞いて愕然とした。この人達とは原点が違う。あまりにもハンドボール観が違いすぎている。この人達は勝敗だけなんじゃないか。ハンドボールという意識はどうなっているのだろうか。そう思った途端、もはやこの話題を続ける気がしなくなり、「ああそうですか、どおりでなかなか勝てなかった訳だ。」と締めくくり、話題を他に転じてしまった。当時日本では有数の名だたるチームがもっている考え方の一端でもあったに相違ない。
後から考えると、あの時、そういう考え方こそがハンドボールの在るべき発展を阻害して来た最も大きな原因であると、諄々と説くべきではなかったかと後悔をしている。
「スポーツはとにかく勝たなければだめなんだ。」「スポーツはルールの下で行われる闘争なんだ。」という考え方がある。この考え方には一種のスポーツ競技論としては理解できるが、「スポーツ」を「ハンドボール」と置き換えて「ハンドボールはとにかく勝たなければだめなんだ。」「ハンドボールはルールの下で行われる闘争なんだ。」と考えて見ると、果たして共感できるだろうか。
このような考えや姿勢を保持することが、スポーツ界においてハンドボールの評価を揺るぎないものとし、その価値を高めることに結びつくだろうか。 ルールが存在し、審判員がいたにも拘わらず、ハンドボールの中にどうしてこのような考え方が生まれて来てしまったのか。
このような考え方は、現代社会があらゆるスポーツに対して期待している「スポーツは人間教育を促すまたとない教材ースポーツを通じた人格形成への期待」に照らして考えて見れば、決して容認されるものではないだろう。容認される考え方でない限り、現代社会におけるハンドボールの評価は、更に大きく飛躍することは望めないだろう。
このように、過去の一部の人達あるいは現在でも一部の指導者が頑固にもっている「何が何でも勝てばいいんだ。」式の考え方の波及が、ハンドボールの正常でより望ましい発展を阻害して来た大きな原因の一つであるとは言えないだろうか。