は力を持たない。言葉は指導者の生き方の中から発せられるものである。言葉に重みも鋭さも出てくる日頃の生き方が重要である。

⑮ 積極的な活動ができるような環境を作ろう

 生き生きとした積極的な活動の場を作ることは,スポーツで最も求められることである。ともすれば活動の目的を忘れ,惰性に流された時間の無駄遣いもよくみられる。1人ひとりを見れば自ら主体的な活動をしているものもいるが,なかには消極的な,「やらされている」活動をしているも のもよくみられる。日々活動の目的を確認し,動機づけ,また,活動内容に工夫を加えるなど生き生きとした積極的な活動の場を作らなくてはならない。それに加えて,活動の成果に具体的な評価 をしてフィードバックを行うことにより,より積極性を引き出すことが必要である。

⑯ 自立した人間を育てよう

 スポーツは,人間を育てる手段としての大きな役割を持っている。では,具体的に人格の向上に対してどのように寄与できるのであろうか。最終的には,「自立した人間」というべきものに向けられるのではと思われる。自立した人間とは,社会の中で好ましい有為な個人として生きていける能力を持っていることであろう。スポーツに積極的に取り組み,礼儀を知り,スポーツマンシップをわきまえるなど,社会で生きていくうえで必要なことを学び,身につけさせなければならない。

⑰ 学習,スポーツの両立を図れる指導者になろう

 学齢期にある選手は,学校の学習と両立を図りながら育っていかなければならない。スポーツだけ,勉強だけでは伸び盛りの児童や青少年の十分な発育を促すこともできない。児童・青少年の過激な練習が問題になるが,これは知的な学習ができないために,将来の道が制限されたり,技術だけが1人立ちしてそれを支える人間的な土台が不十分なことが起こるからである。将来性豊かな選手が練習のためにスポーツづけになったり,スポーツから離れることがあっては,スポーツ界の損失といわなければならない。義務教育期にある児童・生徒に対しては,特に指導者の十分な配慮が必要である。

2指導の4大弊害

① 教えない

 日本の文化の特徴として,古来から技術は盗むものというとらえ方をしている。芸能の世界でも,師匠に弟子入りしてもやることといえば家事手伝いばかりで,何も教えてもらえず師匠の背中を見て育ち,技は盗んで一人前になっていくという日本的土壌がある。ここには,人間的に一人前になる過程で技も自らの力で得ていくという「道」的な生き方,また,「修行」的な生き方が求められている。スポーツの世界にもそのような考え方が色濃く残っている。現代はスポーツが人間形成の一手段としてだけあるのではなく,スポーツそのものを楽しむという大事な側面がある。したがって,スポーツに取り組む人すべてに楽しむだけの技を身につけさせるように「教える」,あるいは「アドバイスする」ことが大切なことになってくる。
 指導者の役割の1つは,「教えて」上手にしてやることである。これを怠っては指導者ではない。

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