② 嘘をつく

 教えないことも1つの弊害であるが,もし教えていることが間違っていたらどうであろうか。同じ技術を教えていても,指導者によって様々なことを言われる。選手も,1度や2度は指導者が言うことの違いに戸惑った経験があるだろう。はたしてどちらが正しいのであろうかと。自分の教えていることに,自信を持って正しいと言いきれる指導者はどれくらいいるであろうか 。
 スポーツの技術というのは,突き詰めて考えればそのぐらい難しいものである。自分の経験のみに求めることなく,正しいと言いきれるバックボーンを持つように,些細なことから勉強してみる必要があるのではないか。これは技術だけではなく,精神的なものも同様である。

③ 考えさせない

 スポーツの技術は,本来その瞬間瞬間において反射的に技が出てこなければならないものであり,考えている余裕というものはない。しかし,その技が完成される過程においては,よく考え工夫し修正しながらという,人間本来の持つ思考が働いていなければならない。自分自身の考えと動作とが−致して現されるようになれば,その技は身についたといえる。技が上達すればするほど,創造や工夫といった内面的な向上が必要とされる。言い換えれば,上達していく過程には必ず思考が伴っているといっていい。確かにある段階では,回数を重ねたら上達するということもある。また,思考がなくても発育にしたがって体力もつき,見かけ上は向上したように見える時もある。 しかし,考えない練習では上達に限度がある。毎日毎日同じことを繰り返して成長がないというのは,考えていないということに他ならず,スポーツにおいて育てるべき大事な一側面がなおざりに されていることになる。スポーツの現場では,やって見せることに重点がおかれるために,考えて行わせるということは少ないようである。また,指導者に自分の意見を言ったところで,「何を理屈 をこねているのだ」と相手にされないこともあるようだ。何を言われても「はいはい」と言っていれば間違いないという状況におかれ,考えない習慣ができていく。現代は情報の時代であり,求めればいくらでも技術の習得に関する情報が満ち溢れている。指導者も情報過多から教えすぎる場合もある。1つ1つ考え,発見的に物ごとを得ていくには技術や戦術も高度になり,やりにくい時代なのかもしれないが,考えない習慣がつけばもうその選手はそれまでである。
 スポーツの楽しさの大きな部分に,自分が考え,工夫し,創造したことをどれくらい実際にできるかということがある。人にはできない自分にしかないものを作っていく喜びである。これが選手あるいは指導者によってなおざりにされれば,日本のスポーツ界は非常に寂しいものとなる。

④ バーンアウト(燃えつき症候群)させる

 スポーツの技術はその人一代である。上手になろうと思えば基礎を飛び越すことなく,しっかりとした土台をコツコツ作りながらやっていかなくてはならない。ハンドボール競技も,世界で正式な競技として生まれてからすでに80年近くになる。日本でも大谷武一が紹介してからすでに70年近くになる。技術も戦術も相当進歩した。それに応じて選手の体力も向上し,用具なども改善されている。しかし,技が高度になるほどその習得に

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