7.サイドプレーの特殊技術の開発
 [昭和43年から]

 昭和43年度から競技場の大きさが44×22mから 40×20mに変更された。それまでのサイドプレー は十分なスペースを使うことができたが,このル ールの変更によって非常に小さなスペースでのプレーが要求されるようになったため,シュートの 技術やコンビネーションに専門性の高い技術が要 求されるようになった。

8.高度なスカイプレーの登場
 [昭和40年代後半]

 ルールによってゴールエリア内に跳び込んでの パスが禁じられていたため,シングルスカイプレーしかできなかったが,昭和43年にゴールエリア 上のパスが許されたために,ダブルスカイやトリプルスカイなど高度なコンビネーションが開発さ れた。

9.センタースリー攻撃と積極的防御の登場
 [昭和50年初め]

 日本の攻撃戦術に圧倒的優位を誇っていたダブ ルポスト攻撃に代わって,センタースリー攻撃が 登場してきた。ダブルポストに対しては,その防 御法もかなり研究され新しい攻撃法が模索されていた。センタースリーは,活動量の多さとダブル ポストへの移行など変化ある戦術として徐々に浸透し始めた。防御法においては,6−0防御を基本的に用いるチームが多かったが,これに代わって,積極的防御法である3−2−1ディフェンスもセンタースリー攻撃にやや遅れて発場してきた。

10.パワーハンドボールの登場
  [昭和50年代]

 ボールを片手で握って行うプレーの登場は,パ ワーハンドボールを生み出した。ボールを片手で保持できることは,ディフェンスに少々押されても掴まえられても,ボールを生かしプレーを続けられることを意味する。したがって,これまでは 相手にできるだけ触れられずにディフェンスを突 破していくのが1:1の基本であったが,少々押され当たられても,また,狭いゾーンに対しても ボールを振り回して突破していく技術が生まれ た。従来のフットワークを生かして相手の虚をつ いて行う技術的な突破動作に対して,体の大きさを生かし,いかにも強引で力ずくのプレーが随所 に見られるようになった。防御が少々手荒であってもアドバンテージルールによってプレーが流れていくために,ゲームの印象は格闘技的な側面を持ち合わせるものであった。

11.日本独自のルールによるハンドボール
 [昭和62・63年]

 昭和62・63年度は,IHFの国際ルールとは異なる日本独自のルールを取り決めて行われた。これ はバルセロナルールと呼ばれるものであり,4項目のIHFルールと異なる条項が織り込まれた。ハ ンドボールをより面白くしようという議論がなされていたころであり,また,ロサンゼルスオリン ピック後はバルセロナルールになるだろうという 先取り的な発想によるものであった。4項目とは, ① 得点後のスローオフはゴールキーパーマークから行う。 ② センターラインから後方へのバックパスはしてはいけない。 ③ フリースローの時,攻撃側もフリースローラインの中にはいることができる。

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