日本は、国際的にみるとアジアで、国際連盟にいち早く加盟し、指導的役割を担ってきた。

1972年にハンドボールが正式のオリンビック種目となってからは、各国が競技力の向上に努めるようになり、アジアでは東アジアが普及・強化をリードしてきた。しかし近年、中東・韓国の目ざましい台頭がある。また政策的にもアジア連盟がクウェートにあるために、いろんな面で主導樅を握られ不利益を被ったり、大会 開催を巡って振り回されたりしている。

スポーツが大衆の注目を浴びるための一つの要素は、国際舞台で活躍することであるが、アジアの強国として世界に目を向けて強化してきた日本女子は1980年のモスクワオリンビック予選で、男子は1992年のバルセロナオリンピック予選で 韓国に負けて以来、世界どころかアジアの代表にすらなりえない状況となり、オリンビックヘの道も閉ざされたままである。1997年、日本で開催された世界選手権大会を契機にしてその脱皮を図るべく努力をしているが、厳しい状況である。

日本はスポーツ全体の競技力が低下し、その解決のための一方法として、ジュニアからシニアにいたるまで指導体制の一貫化が課題になっている。ハンドボールでは、ナショナルチームはシニアの強化が中心であったが、今では16歳、20歳、23歳以下のナショナルチームを作り、それぞれを強化してナショナルチームに繋げ一貫化を図るようにしている。

2000年のシドニーオリンビックのアジア予選は、熊本で1999年に開催されることが決定しており、ここでアジア代表の座を奪遥することが悲顧となっている。

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