ハンドホールが発展していくためには、ハンドボール競技そのものが万人に愛される良さを持っていることが必要である。
ハンドボールが持つ独自の良さを、私たち関係者はあれもこれもと声を大にして挙げているのだが、残念ながら、多くの人にまだまだ理解されていないのが現状である。

スポーツを料理にたとえてみて、テーブルにハンドホールやバスケットボール、サッカーなどいろんな料理が並べられていて、一番好きなものを食べてみなさいと言われれば、普通の人は何から食べ始めるだろうか。
あるいは、スポーツを絵になぞらえて、ずらりとならべられた絵の中から好きな絵を見てくださいと言えば、どの絵を見るだろうか。
最近ではサッカーがプロ野球を抜くのではという勢いのある時期があった。でも野球は日本人の生活の一部になっており、そう簡単には崩れないだろう。

ハンドボールは栄養素に満ちたスポーツであり、食べてみれは、その良さがわかる。また、食べたことによって、鑑賞のしかたもかわり、その良さを見いだすことが出来るはずである。必ず日本の人々にもハンドボールの良さが理解される日が来ると、心待ちにしている。

今まで、世界のハンドボールに携わる多くの人達によって、その良さを認めさせ、引き出す努力がなされて来た。ルールの改正や、指導者・プレーヤーによる技術戦術の開発、そして競技用具の開発などである。その一端について述べたいと思う。

( 1 )ルールの改正

①見る人の立場から

マスメディア抜きにしては何も語れないのが今日ではないだろうか? 「やっておもしろい」だけでなく「見ておもしろい」スポーツとしての視点からのルール改正は大きなポイントである。

11人制が何故7人制に変わったか、それは7人制の方がよりスピーディ、ダイナミックであり、狭いコートいつばいに多彩なテクニックと戦術が繰り広げられる様は、見る人にとっても魅力的であったからである。

スポーツ人口は必ずしも直接プレイに 携わっている人だけでなく、観戦者も含めて考えることが必要な時代である。 今や見る人の立場からハンドボール競技の発展を考えることが大きな要因になってきた。コートが狭くなったりフリースローの笛がなくなったり、また「段階の適用」が生まれたのは、ゲームをスピーディにし、クリーンでより魅力ハンドボールに発展させるためであり、それはプレーヤー側だけでなく、観衆の立場にたったものと考えることができる。

②技術戦術を引き出すためにゴールエリアのプレイの緩和

スカイプレイの登場

嘘のような話であるが、ハンドボールが始められた初期のころは、ゴールエリア上に跳び上がってシュートしたりパスしたりということは、許されていなかったのである。その後、ゴールエリア上は平面として扱われるようになり、ジャンプシュートやプロンションシュートなどの技術が開発されてきた。 しかし、ゴールエリア内でのパスが許されたのは昭和45年であり、このことによってダブルスカイプレイなどの高度なプレイもできるようになった。

③作戦タイム(チームタイムアウト)

このルール導人にはいろんな意見があった。ハンドホール競技はヨーロッパ生まれであり選手中心である。アメリカ生まれのスポーツはべンチも試合に積極的に介人し、よりゲームを興味深いものにしようとしている。 教育としてのスポーツと、より娯楽性の局いスポーツとの違いがあると思うが、結局は、よりゲームの興味を引き出すために、そして放映の時にコマーシャルタイムを引き出すために、作戦タイムが導人されることになった。1分間の短い時間であるが、試合の流れを変える貴重なポイントになっていることは事実である。

④より安全でクリーンなゲームのためのルール改正 ー「段階的罰則の適用」

「段階的罰則の適用]というルールの出現は、ハンドボールをよりクリーンなものとし、ゲームをより技術・戦術的に発展させるための基礎を与えたものである。

このルールは、身体を対象として反則したものは、故意、故意でないに拘わらず、反則する毎により重い罰を与えていこうとするものである。(個人が犯した初めの反則は警告、次に行えば退場、退場3回目で失格、チームとしては3人まで警告が与えられ、その後は段罰に属する反則をおかした選手は全て退場)

ハンドボールを知らない人にゲームを見せて、最も困るのは「あんなことをしてもいいのか」「わかりにくい」である。つかんだり、押したりする反則があるにも拘わらず、試合が進んで行くことを言っているのである。

相手に対する動作として許されていることは、 体の四肢を除く体幹で相手の進路を遮断すること、片手で相手の保持しているポールにプレイすることの二つである。それ以外のことは全て反則である。にも拘らず、ゲームで身体接触の反則が結構目に付く。アドバンテージの適用によって、攻撃側のプレイ継続に影響がないかぎり見逃される。このことが見るものにとっていかにも不明瞭になっている。実際にプレイしていても、殴られたり、突き はされたり、抱きかかえられたりと「なぜ」と疑問を抱きつつ選手時代を送ってきた人も多いことかと思う。

このことの解決に大きな関わりをもった出来事がモスクワオリンピック(1980年)であった。ここでは相当粗いゲームが決勝を初めとして出現し、つかむ、殴る、突き ばすなど何をしてもフリースローで処理されるなど、 見ている人に不快感を与えるゲームになった。マスコミからもこんなダーティなゲームならオリンピックから除外したほうがいいという論調が出た。

過熱する勝敗主義が招いた結果であるが、これを回避して新しいハンドボールを再生しようとしたものが「段的罰則の適用」の出現であった。このルールによって、 追放すsき「汚いプレイ」と正当な「激しいプレイ」の区別がつくことになった。まだまだ汚いプレイが 受けられるが・・・・・。

(2) 用具の改良による競技への貢献ーボールの改良

用具等もプレイの進歩に寄与している。私の高校時代は、ボールといえばその維持管理に神経と労力を使わされたもので、ある。ワセリンを縫い目に塗りこむのが下級生の役割の一つであった。今のように空気を注入するバルプがあるというわけでなく、縫った皮の中にチューブがあり、空気を入れた後はニードルで革紐を操り、出入り口を塞いでいた。この作業も熟練がいり、失敗してチューブに穴をあけては怒られる始末であった。このボールは必ずふくらみ変形していくものであり、片手で握るなど考えることも出来ない代物であった。

その後、出てきたのが貼りボールといわれる6角形と5角形を組み合わせたお染みの亀甲ボールであり、丈夫で変形しないものであった。

この頃から(昭和40年頃)国際試合も頻繁になり、ボールの操作は片手で行うものであるという認識が広まり、また松ャニの出現や体育館でのゲームが 通常化するなど、ボールの改良とともに技術のバリエーションは豊かになった。しかし、貼りボールは丈夫で変形しないという長所はあるものの、堅く、ゴムの突起がGKへの目の損傷の原因となるなど、問題もあり、国際ゲームでは使用禁止のボールであった。

今では、小学生から大人に至るまでソフト感のある縫いボールが使われている。皮の裏に丈夫な布でコーティングしてあるため、同じ縫いボールでも昔と違い変形はなく丈夫である。 (この製造には、熟練工でも一日2個しか作ることができず、先進 国で作るとコストがかかるために、パキスタンや中国で一個につき、たばこ代くらいの手間賃で作ってもらっていると聞いている )

手縫いの本皮のボールの使用は、安全にプレイできるだけでなく、手触りがいいなど用具の面からハンドボール競技に貢献することとなった。

(3)技術、戦術的な発展

競技が屋外から屋内へと移行し、また、プレーヤーの形態的変化、松ヤニ等のグリップ 補助材ができたことから、ボール操作は片手で行うことが基本となり、テクニックは相当バリエーションが豊かになってきた。
リストのスナップでパスが行なわれ、バウンドパスも増加している。シュートもランニングシュート、アクロバチックなサイドシュート、 スビンシュート、アームスイング 回施 フェント、個性豊かなジャンプシュートが見られる。
戦術的に一般的には11人制時代のローリングオフェンス(防御は1・5)からダブルボストのセットオフェンス( 防御は0・6)へと移行し、現在は 韓国式のずらしオフェンスが主流ー特に女子ー (防御1・2・3や1・5、0・6)となっている。どうも日本人は成功したチームの戦術を真似たがる傾向がある。やはり、基本の上にチームにあった戦術が大切であり、また創造性のある戦術か生まれないかぎり、スポーツの真の面白さがでてこないし、また日本がアジアや世界の壁を打ち破ることができない。

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