3) 指導者の喜び

 指導者にとって,選手の競技力が向上し,ゲームに勝つことがこのうえもない喜びとなろう。より強いチームにし,さらに勝って欲しいと願ったり,より高度なテクニックを身につけて欲しいと望むことは自然である。しかし,目先だけの勝利や技術の追求は,ややもすると,選手からスポーツ本来の楽しさを奪うことになる。勝利をめざしながら,勝つことだけを目的とせず,勝っても負けても新たな目標に向かって努力できるような,様々な環境作りをすることが指導者としての責務といえよう。

4)競技スポーツの指導

 競技スポーツの目的は,それぞれの発育・発達段階で新しい技術を獲得したり,個人が技能(スキル)として取り込むことのできる喜びや,チームや個人としてパフォーマンスが実現できる喜びを得ようとすることでもあるといえよう。個々の選手の能力が優れ,チームとしてバランスがとれ,時の運に恵まれたとき勝利を手にすることができるのである。  競技スポーツは,技術内容が高度になればなるほど個人の楽しみの部分が減少されてくるといえる。いつ始めてもよく,いつやめてもよかった遊びの要素がだんだんに減少し,個人の役割が細分化され,強調されるようになってくる。不確定の要素をできるだけ排除しようとし,失敗や意外な結果に至らないように練習を積むのである。個人の楽しみだけでよかった活動が,自分だけでなく他人の楽しみのためにも広がってくるのである。自分だけで満足していた結果も,自分の手を離れ,人から評価の対象になったりもするようになる。このように,遊びからスポーツ,スポーツから競技スポーツへの発展は,遊びの質的変換を求める過程ともいえるが,遊びやスポーツが本質的にもっている,楽しさの機能を失うことのないようにしなければならない。

5)スポーツの指導

 国際競技における選手のトレーニングの意味と,それ以下の選手たちのトレーニングの目的は明らかに異なる。選手の発育・発達段階に応じた指導が要求され,さらには,一生涯にわたる計画のもとに具体的な実践が求められる。このように考えると,選手たちが楽しくゲームやプレーをしていく中で,もっと強くなりたい,もっとじょうずになりたいと思ったことを,選手たちの自主性を重んじながら,自分たちの工夫で解決の方法が見つけられたと感じることのできるように,指導者が意図的に,組織的に,計画的にトレーニングの手助けをすることが「指導」であるということができよう。 ハンドボールの指導の目的は,一人でも多くの選手たちにハンドボールの楽しさを味わわせるようにさせることから始まり,身体と心の成長に合わせたトレーニングを経験させ,スポーツに対する情熱を将来に持続させていこうとする気持ちを持たせることであるといえよう。 指導熱心といわれている指導者の,スポーツに,そしてハンドボールに対する熱意と情熱は並々ならぬものがある。指導の前に,選手としての楽しさを見失うことがないように,配慮しつづける努力が必要である。

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