ゲームには練習してきたことの3割も出ればよいと言われる。これは,3割しか出ないということでなく,3割出すためには7割の余力を持っていな ければならないということである。

ゲームに対しては,予測される数多くの内容を個人技として,あるいは戦 術として身につけていなければあらゆることに対処できないということであ る。予測できることがらは無限にあり,いくら時間とエネルギーがあっても 完全に身につけられるということはない。したがって大切だと思われること を精選して,練習が行われる。その時間たるや相当なものである。週5日、 2時間練習を1年間続けたとしても,2600時間を越す。ゲームは1時間ほど である。高度なプレーヤーになるほど,すべてが出し尽くされるということ はない。逆に言えば,出し尽くされないほど持っているから,あらゆる事態に 対応できるのである。

ゲームは勝てばよいものではない。ゲームは練習の過程を問うものである という立場に立てば,勝とうとするために練習してきたことがらが,いかに できるようになったかという面から見るべきである。そうすれば,次の練習 に目標ができ,工夫が生まれる。ゲームは勝っても負けても,チームのある いは個々のプレーヤーの道しるべとなってくれるものである。

勝敗は,客観的に見れば,プレーの確率の良し悪しによって決まる。プレ ーの確率は技術,戦術の程度によって決まるものであり,技術,戦術の程度 は逆にプレーの確率から推定することができる。ゲームは人間が行うのであ り,ゲームにおける心のあり方が問題となる。特に混戦するハンドボールで は,闘う気持ちが必要であり,そして,それぞれのプレーヤーの心がひとつ の目標に向かって統率されることが必要である。

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