に熱中するのは,自分の得意な分野で自分を認めて欲しいと願うからであり,負けずにがんばろうと努力できるからである。このような意欲が動機づけとなり,その意欲の大きさが日々の練習のエネルギーとなる。

2)望ましいチャンピオンシップの育成

 子どもにとってのスポーツの楽しみは,勝敗を争うところに本質がある。しかし,競争することに夢中になるあまり,スポーツ障害をひきおこしたり,勝ちたい,負けたくないという意識が強すぎることから自己中心的となりすぎ,弱者,敗者に対する思いやりの気持ちを持つことができなくなったりすることがある。おとな,すなわち指導者がなんらかの制限を加えない限り,この傾向はエスカレートする。他方,おとな,指導者が子ども以上に過熱し,勝つための必要なことはすべて準備してしまい,指導者の指示は絶対守らなければならないという服従,根性という精神的な面の強調が先走りしてしまい,スポーツの自己表現とプレーする喜びを奪ってしまうことにもなりかねない。燃えつき症候群,過度な勝利至上主義,厳しく長すぎるトレーニング,管理・権威主義の横行などの弊害が指摘されている。また、スポーツ指導で避けなければならないとされていることに,技能の不備の指摘がややもすると人格の不備の指摘となってエスカレートしたり,常に体罰をともなう指導がなされたりすることがある。 指導者に求められているのは目の前の勝利だけではなく,勝つことへの意欲,じょうずになりたいという意欲に方向づけをすることであり,そのためには,片寄りを避けるためにいくつかのスポーツを組み合わせたシーズン制の採用,勝つことだけに焦点があわされてしまいがちな全国大会の制限,子どもの発育・発達に合わせたルール,用具の開発などを整備させ,望ましい方向でチャンピオンシップを育てることである。

4 初心者の指導

1)初心者とゲーム

 初心者でも熟練者でも,男子でも女子でも,おとなでも子どもでも,ボールゲームにおいてはゲームをすることを望み,喜ぶ。大人数のクラブでは人数整理と称して,初年度入学生にシュートがはずれたボール拾いと,足腰の鍛練にとパスノックといわれるボール拾いだけを練習課題としているところがあるという。ハンドボールのゲームを行うためには体力は必要である。しかし,これではせっかくハンドボールの楽しさに触れようとして入部した選手を,楽しさを味わうどころか嫌いにさせて他のスポーツに目を向かせてしまったり,スポーツそのものと絶縁させてしまうことにもなりかねない。また、従来,スポーツの技術の練習の傾向として,初心者は基本からみっちりと鍛え,その後で仕上げとしてゲームができればよいと考えられてきた。体力づくりは別な考え方があるとして,スポーツ技術の練習の意義は,ゲームの中でいかに練習の成果が発揮できるかにあるといえよう。ハンドボールは,ゲームを行うことで,すべての技術が技能として習得されるといっても過言ではない。ゲームにおいて,個人が自分に与えられた役割の責任を果たし,攻防活動が行われるようになったとき,チームプレーが発揮されるのである。このチームプレーがゲームの中で随所に見られるようになったとき,ゲームはスピーディーになり,ダイナミックとなり,ハンドボ

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