講演は、ハンドボールの歴史から始まり、後段で
ハンドボールの精神について話されていた
(題目はこちらで付けた)
防御は相手の前で、手を広げて守ることはよい。それはいい。捕まえたり押してはいけない。いけないことはやってはいけない。学連の試合を見てあるいは審判を見てどうも守備は練習もしないで研究もしないでやっているのではなかろうかと心配がある。攻撃は一生懸命するが防御は安直に考えている。ポストはぎゅっと掴む。掴んではパット離す。そういう事をやっておって人間が良くなるのでしょうかね。何のためにやっているかと言うと、ハンドボールをやってよい人間になりたいと思う。
やはり間違っている。そうじゃないですかね。正しい守りと言うことをもっと研究しなきゃいかんですね。
私はハンドボールの普及と言うものについて興味を持ってずっとやっているものですが。スポーツと言うものはハンドボールもスポーツですが、楽しくやらなければいかんのではないですかね。スポーツと言うものはいやいややっていても意味がない。あるいは、いやいや、やっている人を一緒懸命やれと言うのもおかしいですし.やはりスポーツと言うのは自分が好きだからやるのであって好きだから上達して来る。だから好きでよく考えてやるところに技術が上達して来るのではないでしょうかね。好きこそものの上手なれという言葉もあるしね。
それから皆さん指導者だから普及と言うことをもっと考えてほしいと思うのですが、普及と言うのは黙っていても普及していくものもあるし.いろいろ考えてしていかなくてはいけないものもある。普及する要素と言うのはどんなものであるのでしょうか。
先ず普及するためには面白くなくてはいけない。面白いと言うことはハンドボールをやって面白いと言うことで皆さんもやって面白いと思うんだ。僕らもやはりハンドポールをやって面白いとおもうもんね。と同時にやって面白くて見ても面白くなくてはいけない。
やって面白く見て面白
い。面白いと言うことを学問的と言うか感覚的と言うか、一つの知識みたいな言い方をすれば、野球はどうしてあんなに普及するかと言うことを思うね。野球と言うのは、打って、投げて、走るということになるのですがあれは非常に投機的なんだなあ。このボールが飛ぶかあるいは三振するか、あるいは逆転かと非常に投機的だ。投機的と言うことは投げる人、打つ人が心の緊張した状態があってそれを遠くから観覧者が多く見ているね。