大西武三 

今年の日本のハンドボール界にとって大イベントであったアジア大会は、男女とも無事銀メダルを獲得し終了した。大会は参加国が少なかったものの西アジアのクウエートやサウジアラビアの参加によって盛り上がりを見せた。男女とも好ゲームが多く見る側にとってはゲームの面白さを十分に堪能できた。やはり親善試合と違って選手権はよいものである。

今回の指導法では、今大会で特にベンチワークについて考えるところがあったのでそのことについて書きたい。

見て面白かったベンチ

ゲームの観戦はコートの中で行われるゲームそのものに向けられるのが一般的である。今回はそれに加えてベンチをも含めて観戦するる対象になった。これはクウエートのイトウチェンコ氏(写真1)やサウジアラビアのデロウアズ氏のベンチワークが非常にアクティブであり見る者に十分なエンタテイメントを提供してくれたからである。イトウチェンコ氏はハーフタイムでベンチを引き上げるとき流れる額の汗を手でぬぐいながら私の前を通り過ぎていった。監督が選手と同じように汗を流しているのを見るのは初めてのことである。

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このイトウチェンコ氏は機関誌でも以前書いたことがあるが旧ソ連の監督であり、世界選手権やオリンピックで優勝経験がある監督である。実績で言えば世界のナンバーワン監督と言える。その監督がクウエートをどのように采配していくかは非常に興味があり注目されていた。日本に勝ち、韓国に引き分けた時点では、優勝の可能性も十分でさすがの感を持たせた。しかし後のゲームで、サウジアラビアや中国に破れ、さすがの名監督もアラブのやんちゃな選手を短期間で御するのは難しいのだと思わされた。

サウジアラビアのデロウアズ氏はアルジェリアの元監督であり、アルジェデフェンスを作りだした人である。今回アジア大会を盛り上げた要因の一つにアルジェデフェンスという積極的なディフェンス法をゲームの大事な局面でしばしば使い成功し、観客を沸かせた。ある人が「ベンチを見ているほうがおもしろい」と言っていたが、この二人は自分の感情や考えを行動として表現するのであるから、その心が第三者によくわかる。立ち上がり、選手の間を行き来し、指示し、激励し、怒るその大きなジェスチャーはひとつのパーフォーマンスであり、選手のプレイに劣らない「ゲームする人」でもあった。

ベンチの采配

本来ベンチの采配は、監督としてのトレーニング過程の締めくくりである。

ゲームに至るまでにやるべきことがいっぱいある。自分のチームの基本的な戦い方が出来るように、チームの戦術と個人の技術を鍛えなければならない。それと並行して、相手チームの戦力を分析し、如何に戦うか、作戦を立てなければならない。

その作戦は自チームが持ついくつかの基本的な戦術をどのように実際のゲームで組み合わせ適用するか(一つしかなければそれをやるしかないが)、また、人の使い方やフォーメーションを如何に使うか、あるいは特殊な戦術を別個に練習して如何に使うかなどである。

ゲームが始まれば、相手の状況を把握して、作戦がうまく適用しているかどうか確かめなければならない。予想どおりう上手く事が運べば特に指示を出すこともなく終わってしまうかも知れない。しかし相手も作戦を仕掛けてくるのであり、なかなか上手くいくものではない。そのような時は、チームの戦術や人の使い方を工夫して作戦の変更を行わなければならない。

「彼を知り己を知れば、百戦危うからず」というのがあるが、このことは相手のことを十分分析し、それに対して自チームの技術的・戦術的な力が十分に上回るようにすれば負けることはないといいう事であろうが、そこに至るまでのトレーニングは生易しいものではないということを教えてくれている。

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現実のベンチは

「彼を知り、・・・・・」を実践するには、相当の能力、エネルギーと環境がが必要である。それだけのものが整っているというのはまれなことである。

自チームの完成度も相手の対策も十分でないままにゲームに望んでいるのが普通の指導者ではなかろうか。

「相手のことはよく分からず、己の未熟さもよく知っていてのであるから、百戦とも危うい」という心境でベンチに入っている人も多いのではないでしょうか。作戦的なことも種々考えるが、忙しい世の中に振り回されて、それどころではないのが現実であろう。

ベンチのスタイル

サウジアラビアやクウエートの監督を見ているとあれがひとつのスタイルであると思う。相手に自分の意志を伝える方法に色々なものがある。日本人には以心伝心というものがあり余り派手な行動でコミュニケーションをすることが苦手である。じっとしていても心や感情は大いに動いている。コミュニケーションは言葉と最小限の動作で行う。

 

日本人の選手にサウジやクウエートの監督のような采配をやったらどうであろうか。大いに盛り上がるかも知れない。また怒るときはひどく怒るので萎縮してしまうかも知れない。ただアラブの選手を管理するためにはあれぐらい強い言動を取らなければゲームは統率どころか分解の可能性十分である。あの派手とも思われる言動は本人の性格もあろうが、彼等にとってはベンチにおけるコミュニケーションの技術・戦術・演技の一つとも言える。

国際ルールで数年前に「ベンチ規定」が出来たが、あちらではこのような規定を作らないと収拾がつかないことがしょちゅうおこるのであろう。このアラブの監督の二人に限らずチームの役員までがコートの中にしょっちゅう入ってくる。それに比べて我々日本人のベンチはベンチ規定を持ち出されるまでもなくおとなしい。日本人の性格から前二者のようなベンチを我々にしろと言っても出来るものではないが、見る側に立てば、これからはもっともっとアクティブな言動で選手とのコミュニケーションを取る監督が出てきていいと思う。

ゲームのコントロール

 ゲームに対する二つの考え方がある。ひとつはゲームは選手がやるものであるとする考え。したがってゲームは作品の発表の場であり指導者はそれを見守るというもの。もうひとつはゲームはベンチがゲームに介入して、指導者と選手が共にゲームを作り上げようとする考えである。指導者はゲームの指揮官となり率先してゲームをコントロールする。

前者に比べて同じ選手なら高いレベルのゲームが出来ると考えられる。勿論、前者もただ見守るだけではないが、後者に比べれば消極的ベンチといえ、戦術作戦的には選手レベルのものしか出来ない。

日本の場合スポーツが教育の手段として用いられてきたことから前者のスタイルを取ることが多い。後者はゲームの中で即応的に作戦を実行したり、選手を頻繁に交代させたりして揺さぶりをかけたりして「ゲームの中でゲームを作っていく」と言う感じが強い。

この場合、それ相当の監督としての準備が必要であるが、スポーツによってそれがやりやすいスポーツとそうでないスポーツがある。野球はゲームの性質上ベンチがもっとも介入しやすい。アメリカ育ちのスポーツは作戦タイムを導入するなどベンチも介入して総力で面白いゲームを作り上げるように出来ている。

それに対してヨーロッパ系のハンドボールにしてもサッカーやラグビーにしても作戦タイムなどない。スポーツは選手が主体でやるようになっている。それがベンチワークを疎かにしてきたのかも知れない。もし勝ちたいとすれば監督がベンチワークによって選手の経験不足を補いゲームをコントロールするかは大きな問題である。

オリンピックソリダリティで来日したデンマークのルント氏が言っていた。「私がサッカーからハンドボールに移った理由は、サッカーはコートが広くて選手とのコミュニケーションが出来ない。ハンドボールは小さくてそれが可能である。監督の力量を大いに発揮できる」。ベンチの采配はハンドボールでは勝敗に影響する。ハンドボールならでの采配の方法を確立していくことが望まれる。

ベンチの切り札

ベンチからの指示がゲームをひっくり返すということがよくある。勝てると思っていた試合が、相手の作戦によってひっくり返されることもある。仕掛けられた作戦に応じる作戦がなく手をこまねいているうちに破れてしまうとこともよくある。外から見ていて「あれはベンチの差だな」と思うことがよくある。

勝っていた流れが急に変わって相手のペースとなり何とかしなければならない。残りの攻撃回数からしてこのままでは負けてしまう、などゲームの流れのなかで監督として何か手を打たなければこのまま負けてしまう状況がよくある。このような時、勝負師的な勝てる監督というのは何か切り札を持っているものである。精神的な頑張りを求めるだけではなく、技術的なあるいは戦術的な切り札を出してくる。勝負を求めるならこの切り札を如何に持ちえるかが監督としての力量でもある。

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選手の士気を高める。

ゲームはその時どきの、選手のやる気、気迫の持ようでずいぶんと違った結果が生まれる。指導者は、技術的な、戦術的な切り札だけでなく、日頃やってきたことを高いレベルで発揮させるような精神状況を作り上げることが何よりも大事なことである。そのためには指導者はベンチでどのように振る舞えばよいのであろうか。

日本的な考えでは、試合に望むその選手のそこに至るまでの取組の姿勢によってそれは決まってくるものであり、試合でどうのこうの問題ではないとするものもある。しかし選手というのはそう完成された人間ではない。未熟な段階ではやはり激励、助言等の言動によって選手の士気を高めていくということは大切である。ベンチで大いに激励しコミュニケーションしてもらいたい。

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