旧東ドイツで生まれた彼は,陸上の10種競技で東京オリンピックの候補に選ばれたほか,ハンドボール,サッカーにおいてもナショナルBにランクされたほどである。すでに18歳までに,テニスなども含め様々なスポーツを体験している。父親の影響で本格的にハンドボールに取り組んでからは血筋を引いた才能が磨かれ,旧西ドイツに移住してから3年後の22歳でナショナルに加わった。そこでは名門クラブチームでならし,4回のヨーロッパカップを手中にした。さらに旧西ドイツ代表のオールラウンドプレーヤーとして,67年から74年までの間に公式国際試合に14回出場のあと,いくつかのクラブチームを経てフランスに移籍した。そこでもコーチ兼選手として活躍した。そして再び旧西ドイツに戻ってからは協会派遣の外国人コーチとして,これまでフィンランド,エジプト,象牙海岸,カタール,韓国というように,世界のあちこちで指導能力を発揮している。しかも指導歴において,アフリカではサッカーのナショナルチームの指導を任されたことがあるなど,コーチとしては異色である。このような選手おまびコーチとしての万能ぶりは,多彩な競技歴が基礎になっているといえよう。

旧東ドイツの独特な体制下における彼の18歳までの様々な競技歴は,確かな運動経験として彼の指導に十分生かされている。しかしどこの指導者にとっても,いろいろなスポーツや運動に関心を向け,それらの良い面をトレーニングに取り入れることは非常に重要であろう。とりわけそのことは幼少年期のトレーニングに配慮されるべきであろう。実際,選手として運動を習い覚える時に,さらに指導者として運動を教える時に,記憶に蓄積された運動経験は重要な意味を持つからである。

○基礎的な練習内容 

コスメールの指導内容は,ハンドボールの競技力の基礎となるものが多い。例えば,変化をつけた40mの往復ジョギングに始まり,刺激に反応するダッシュ,時間をかける丁寧なストレッチング,そして巧みさを要する体操にいたるまでその内容は見物である。とりわけボールを中心にして,ハードルやマットをうまく利用したトレーニングは少人数でも簡単に実施でき,しかもハンドボールにとって欠かせないボール操作の基礎的な技能や,運動の協調能力を養成するうえで重要なものである。また,随所に見られるドイツ的な遊戯やミニゲームも有効なところに使われており,選手たちを飽きさせない。全体的にみると,ハンドボールの基礎的なものを,系統性を持たせながらうまく配列していると言えよう。

しかし指導内容がいくら系統的であっても,またそれがいくら科学的に裏づけられたものであっても,コスメールの実際の指導は柔軟であり,自分の経験からにじみでたものである。それらのことは彼の実際の指導の仕方,とりわけ示範に象徴的である。

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