も時間がかかる。技術に対する研究も進み指導法も進歩するが,高度なものに達しようとすれば時間がかかるのである。日本のスポーツ界は勝つことによって評価されるという土壌がある。小学校であろうが実業団であろうが,勝たなければ評価されないのである。また,勝つ喜び,勝つ感動というものは何ものにも替えがたいものである。相手より優れたいというのは人間の持つ基本的な欲求であるために,勝つという要素をなくしてスポーツを語ることはできない。
 現実の問題としては勝ちたいのである。そのためには,技術を反射的なまでに出せるように,また,高度な技術までも習得しなければならない。それを満たすのは,唯一豊富な練習量と質の高い練習をこなすことに他ならない。指導者は家庭を犠牲にし,選手は勉強や社会的経験を犠牲にする。そのような生活は何年も続くものではない。そのような厳しい生活や練習の中で人間としての可能性が追求され,人間としてのしっかりとした土台もできてくる。
 しかし,成長段階に応じた限度というものもある。短期でみれば素晴らしい成果も,長期の展望に立てば駄目ということもある。なかには体をがたがたにしてしまったり,バーンアウトを起こしたり,その競技しか知らない視野の狭い人間を作る。また,犠牲を嫌って競技スポーツ界の外に出る優秀な人材も多いはずである。これは,小学校から国を代表するナショナルチームまで,一貫した指導体制が取れないところに問題点があり,この回避は国家レベルで取り組まなければならないにもかかわらず,現状は指導者の人格に任されているのである。

3指導の実際

① 練習に足を運ぶ

 コーチングの前提は,何はともあれ練習に出ることから始まる。実際の練習の場を大事にする姿勢なくしてコーチングはないのである。コーチングは指導と観察であり,それは日々選手と行動をともにすることにより可能となる。生身の人間をリモートコントロールすることはできない。日本の社会では,ハンドボールのプロの指導者はいない。それぞれに専門の職というものを持っており,年齢とともに仕事も多くなる。練習に出られない条件というのはいつでも揃っている。それでも練 習に出る道を見いださない限り,コーチの仕事は果たせない。

② 指導案の作成

 現場に行ってから良い指導をしようとしても,できるものではない。考えて練習の場に出てきたかどうかは,選手にすぐにでも見破られてしまう。何を,どのような方法で,どんな順序で教えていくかはあらかじめ指導案の上で予行演習しておくべきである。ベテランともなれば頭の中のノートに指導案を書くことができるであろうが,一般には書くことによって整理もでき,ひらめきも湧いてくるものである。

③ 練習メニューの提示

 長期・短期の練習計画を土台として,ここ数日の様子から具体的なメニューを提示する。練習の 状況によっては変更もいとわないようにする。メニューに対する希望を生徒から聞いて参考にする

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