p-12エリアラインやフリースローラインは現在のもの の基礎となっている。この7人制は実施が簡単であり,世界に普及して1938年には世界選手権が開 かれ,その後,7人制,11人制の2本立て路線がしばらく続いた。
 第2次世界大戦後,1946年にコペンハーゲンで国際ハンドボール連盟(IHF)が設立され,IAHF は発展的解消をとげ今日に至っている。

4)日本への移入と発展

 ハンドボールの日本への移入は,1922年7月24日,東京高等師範学校の大谷武一が大日本体育学会の夏期講習会で紹介したことに始まるとされている 。
 大谷は1917年からヨーロッパに留学し,そこでハンドボールと出合い,その教育性,競技性,遊戯性の豊かさに強烈な印象を受けたが,そのことは次の文の中に表れている。  「…‥はじめてドイツに着いた時,先ず驚いたことは,いままで見も聞きもしたことのない新しい球技が,ベルリン郊外で盛んに行なわれているのを見たことであった。なかでもスパンダ ラ付近の広場では,特に婦人チームが盛んに活 躍していたが,ほかでもないこれが今日の『ハンドボール』だったわけである。・…‥このように多くの美点長所をもつハンドボールを将来日本の国技の一つとしていっそう盛んにしたいも

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