代ハンドボール競技の成立が19世紀末から20世紀初頭の,中北部ヨーロッパにおいてであったことに注目しなければならない。
 *トーアバル
   1915年,ベリルンでマックス・ヘイジュアによって考案された。20mx40mの競技場,2.5mx2 mのゴール,4mの半円のゴールエリアラインで,1チームは4〜14名で構成された。ボールを 持って走ること,3秒以上ボールを保持するこ と,相手ボールを奪うことが禁止されていた。サッカーのボールを使用し,投げ渡しによってのみ進むパスゲームであった。
  [水上一:ハンドボール発展史」『日本ハンドボ ール史』1987]

2)ハンドボール成立の社会的背景

 19世紀から20世紀初頭にかけてのヨーロッパ は,どのような状況であったのであろうか。イギ リスでは産業革命をへて,ブルジョアジー主導による種々のスポーツが創出され,特に,サッカー やクリケットが活発に展開されていた。そして, 手の使用によるボールゲームとしてサッカーからラグビーが派生し,広がりを見せ始めていた。ド イツは,ナポレオン戦争の敗北後,愛国的運動が 高揚し,ヤーンのドイツ体操(turunen)もドイツ 国民の統一と愛国の意識の高揚という面から身体 の練成に重点が置かれるところとなった。また,スウェーデンでも戦争の敗北を契機として,ドイツと同様にリングの体操に収斂していくこととな り,デンマークでもナハテガルのデンマーク体操 に同じ発想をみることができる。イギリスがスポ ーツを主軸に発展させてきたのに対し,北欧諸国とドイツは,いわゆる「体操」路線だったといえる。
 ヨーロッパ中北部にハンドボールが成立するに は,この伝統的な体操を克服し,新しいスポーツが導入される必要があった。 1896年の近代オリン ピックの開催や,第1次世界大戦の敗北とワイマール共和国の成立などを通してスポーツの流入が みられ,プレイグランド運動や女性のスポーツ参 加の権利保障などを底流としながら,ドイツにお いては,スポーツとツルネンの抗争が激化したことも事実である。
 サッカーは眼前に大きく展開されていた。新しい,女性も青少年も簡単に楽しめるチームボール ゲームとは? それが手を使ったサッカーの考案に向かうのも必然であり,アメリカでのアレンジ がバスケットボールやアメリカンフットボールで あったように,ヨーロッパ中北部での独自のアレンジがハンドボールを生み出していったといえる。

3)ハンドボール競技の確立

 ほぽ同じ時期に始まったドイツとデンマークの ハンドボールは,その後も両極として,相互に影響しあいながらスポーツ競技のインターナショナリティーを確保していった。
 ヨーロッパ諸国に受け入られた11人制ハンドボールは国際的な統一の必要性にせまられ,1928年, 国際アマチュア・ハンドボール連盟(IAHF)を誕 生させ,1934年には統一競技規則が制定された。 その内容は,ボールが58〜60cmと小さくなり,3 秒ルールが加えられたことがあげられる。 1936年にはベルリンオリンピックの種目にも加えられ, 1938年の世界選手権の開始とともに,国際的な地位を確保したといえる。
 一方,デンマークで誕生した7入制室内ハンドボールも北欧を中心に発展し,11入制と同様に1934年に国際競技規則を制定したが,その内容は,競技場は縦30〜50m,横15〜25mであり,ゴール

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