ツカーのもつスポーツ性を取り入れ,女性にも男
性にもできるボールゲームとしてこれを普及,指
導した。
彼は,この競技を人間の基本的な動きや本能と合致した自然な運動ととらえ、特に,走・跳・投
による身体形成の有用性を強調した。この競技は
1チーム11名からなり,競技場は30mX40m,ゴ
ールは5m×2.1m,ゴールエリアラインは8mの
半円であった。また,ボールを持って3歩走れる,
相手のボールをはたき落としてもよい,というものであった。
ところで,ハンドボールの発祥地論争として近年話題になった馬場太郎氏の「デンマーク発祥地説」によると,ドイツに先駆けて19世紀末にデンマークで,エアンスト(R.N.Erhanst)がハンドボ
ールに似た競技を実施していたとされている。さらに1904年には最初の試合の記録が残っており,
1906年に至って人工呼吸法で有名なホルガー・ニ
ールセンによって競技規則も制定されていた。当
時の試合は1チーム16名で競技場は30m〜50m,
ゴールは3m×2m,ゴールエリアは4〜7mの
長方形で,サッカーボール使用のドイツのトーア
バルと同じような形式であった。 このニールセン
の“HANDBOLD”は,デンマークの気候的条
件の下で室内運動として普及し,1918年にはクヌ
ツセンの競技規則制定へと発展し,同じような気
候条件をもつ北欧諸国や他の国々にも広がってい
った。それは,チェコの「ハゼナ」というボール
ゲームやハンガリーの民族的なボール遊戯に窺い
知ることができる。
この発祥地論争の結果は,従来のドイツ発祥地
説を揺るがすものとなったが,いずれにせよ,近