し,客観化するというように,技術伝承の立場から,観察と記述によって技の運動分析(Bewegungsanalyse)を始めなければならない。その際,目の前にある運動が個人によって経験されているという認識をもつことは重要である。人間の運動の知覚一認識の独自性は,身体運動の「運動感覚的知覚」(Kinesthetic perception)に求めるべきであるとし,人間が概念化しうる「運動感覚」(Kinesthesia)のもつ意味や価値に注目し,意味作用の過程およびその変換過程を論じた9)のはメスニー(Metheny,E.)である。我々は,このような人間の運動の経験的側面を考慮しながら,運動経過をとらえる必要がある。たとえば,あるシュート運動は,運動遂行者の視点に立てば,「投げさせられた」とか「投げてしまった」とか,あるいは「〜のような感じで投げた」ということが問題にされなくてはならない。すなわち我々は,人間の運動経過に認めうる対応動作とか技術的徴表から考察を通じて,それらと結びついた内的な解釈しうる諸現象にまで広げて問題にしなければならない。それゆえ,人間の運動を全体としてとらえるために,マイネルの「運動形態学的考察法」(Die morphologische Betrachtungsweise der Bewegung)10)を拠りどころにすべきである。しかしながら,球技の運動は非常に複雑な情況において生起するため,その運動をとらえるためには,その考察法の限界を知り,さらに工夫しなければならない。

3.観察と記述の方法

運動形態学的考察法の内,特に「自己観察法」(Selbstbeobachtung)11)と「他者親察法」(Fremdbeobachtung)12)は有効である。.すなわち,自己観察法は,「自分の運動を運動覚と言語によって知覚し,観察すること」13)であり,マイネルは,運動を意識する上で重要な意味を持つと指摘している。そこで,当時ハンドボールは未経験であった山形大学ハンドボール部員A.に,自分のシュート運動を絵と言語によって1年間自己観察させてみた(資料②)。それをみると,体験残像が鮮明になっていく様子や,自分の関心が単なる自分の動作から対応動作へと変化していく様子,さらに,より理想的なシュートを模索している様子等がわかる。この事例から,遂行者は,見通しや意図などにも関心を向け,記述していることから,球技の場合では自己観察の意味を拡大解釈する必要があろう。このように,運動に対して明確な遂行意識を持つことと,その運動を対象化できるということは,練習において自分で運動経過を意識し修正できるということであり,又,我々にとっても,選手の認識の過程をよみとることは,コーチングや研究上重要である。

一方,他者観察法は,自己観察法を追検証するものである。金子は,マイネルが「スポーツ運動の運動経過はそれを観察しようとする場合に,われわれに客観的に,すなわち,すべての人にとって捉えうる(zugänglich)ように,そして確かめうる(nachprüfbar)ように与えられる」と述べているとし,そのことに注目して,体操競技における技の運動経過を観察することを,技の「客観観察」(Fremdbeobachtung)としてコーチング上のその重大な意義14について論じている。さらに,この観察は視覚を通して知覚されるという「印象分析」(Eindrucksanalyse)15)に支えられる。それゆえ,豊富な運動経験や知識,観察力や共感能力の確かさ,そして適確な言語的把握能力を前提としていることは言うまでもない。次に我々は,運動現象の一回性16)のため,映画によって運動の本質的徴表をとらえる必要がある。この段階では,運動経過を記述することから始まるが,マイネルの言う先取とか「局面構造」(Phasenstruktur)などの諸カテゴリー17)の助けを借りて,より詳細に分析がなされ,技の構造や技術を認識する必要がある。ここで,金子が言うように,技の構造を,技の課題性からみる「運動形態的構成要素」と,技の課題を遂行する最善の仕方としでの「運動技術的構成要

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